インターネットで検索すれば、いくらでも簡単にレシピが手に入る時代だ。それでも人は、わざわざ足を運ぶ。神楽坂の一角に佇む「一二三庵」は、かつてレストラン格付けガイドで二つ星を4度獲得した日本料理店がたどり着いた、静かな料理教室。ここで学べるのは、料理の手順だけではない。季節の移ろい、出汁の香り、器の重み。五感をひらき、自分の感覚を取り戻す——そんな豊かな時間が、ゆっくりと流れている。
2026.05.07
神楽坂、日常から切り離された一室へ
神楽坂の路地を一本入った先に、静かに佇む一軒家がある。控えめな表札の門をくぐった瞬間、空気がふっと変わる。季節の花が生けられた凛とした和の空間。そこに、店主と女将の夫妻が穏やかな笑顔で迎えてくれる。不思議と肩の力が抜け、日常の喧騒が緩んでいく。
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門をくぐった瞬間から、非日常の時間が始まる。
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教室空間。広々とした厨房があり、調理の所作を間近で見ることができる。
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季節のしつらいとともに迎える客間。取材時は1月下旬。梅のひと枝に、節分の豆、椿と山茱萸(サンシュユ)がさりげなく配されていた。
「一二三庵」は2001年、文豪の町・千駄木で一日二組限定の日本料理店として始まった。店主の粟飯原崇光(あいはらたかみつ)さんは神戸出身。大阪、東京の日本料理店で修業を重ね、完全予約制で料理と真摯に向き合う場を築いてきた。
「それまで30〜40人のお店でやってきましたが、本当に全員にきちんと向き合えているのか、ずっと疑問があったんです。季節に合わせて、その人のための料理を出したい。その思いから、二組限定にしました」
その誠実な姿勢が評価され、レストラン格付けガイドで一つ星を3回、二つ星を4回連続で獲得。日本料理界で確かな評価を築いた。しかし現在、一二三庵の主軸は“料理を出す場”ではなく、“伝える場”にある。
転機になったのは、常連客からの「娘に料理のいろはを教えてほしい」というひと言だ。同時に、「料理の背景にある文化や考え方を知りたい」というお客の声も重なり、粟飯原さんは“教える”ことに向き合い始めた。
「和食の技術は、経験を積めば身につきます。でも、その根底にある日本の季節感や美意識、文化に触れる機会は、年々減っている。和食が無形文化遺産になったとき、“中身が伴わないまま広がること”への危機感がありました」
星を重ねるたびに、粟飯原さんは自分自身に問い続けてきたという。本質はぶれていないか、と。
「星はゴールではありません。日本料理の本質を、より深く伝えていく責任を与えられたものだと受け止めています。料理の背景にある文化の奥行きを、きちんと伝えていきたい。そう考えるようになりました」
料理を学ぶことは、日本文化を学ぶこと。店主と女将はこの教室を、単なるレシピ講座ではなく、大人の感性を育てる“稽古場”と位置付けている。その姿勢は共感を呼び、料理教室は瞬く間に話題に。今では国内外から生徒が集う場となった。
一方で、店の知名度や評価が先行することで、本来届けたい価値との間に、わずかなズレを感じるようにもなったという。そうした思いから2015年頃、一二三庵は“レストランの格付け”から距離を置き、神楽坂へと拠点を移した。料理を「提供する場」から、「伝える場」へ。その選択は、ふたりにとってごく自然な流れだった。
出汁の香りから始まる、五感の稽古
湯気の立ちのぼる鍋の前に立ち、静かに昆布を引き上げる。その瞬間、ふわりと広がる香りに、思わず背筋が伸びた。鍋のなかの黄金色の液体は澄みわたっていて、教室の空気までもが凛とする。暦の上では、もうすぐ春。取材は、1月末の冷え込む日にひらかれた約3時間の「日本料理講座」で、数品を体験させていただいた。この日のテーマは「節分」。春を迎える節目の日を、日本料理としてどう表現するのか――その最初の一歩が、“出汁”づくりだった。
最初に教わったのは、基本となる出汁の引き方。ひと晩水に浸した真昆布を火にかけ、花鰹を加える。ふわりと立ちのぼる華やかな香りに、背筋が自然と伸びる。
「まずは、何も足していない味を覚えてください」
そう差し出されたひと口は、驚くほど芳醇で、やさしい。
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この日の食材。厳選された旬の恵み。
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昆布と花鰹の出汁。日本料理講座では実演を中心に、香りや音、湯気まで五感で学ぶ。ご主人との対話、盛り付けや試食を通して理解を深めていく。
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ひと晩水に浸した真昆布。「つまんで爪の型がつくぐらいが目安です」
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花鰹を加えた瞬間、豊かな香りが広がる。沈んだらアクを取り、丁寧に濾していく。
「お出汁の取り方は、つくる人の嗜好や料理によってそれぞれ違います。一番おいしいのは、お料理に合った、できたてのお出汁。例えば家庭の一汁三菜に、料理屋の上品なお出汁を引いても、おいしくはならないんです」
続いて行われたのが、調味の工程だ。塩、醤油、酒をそれぞれ“少々”ずつ加えていく。“少々”という言葉から想像するよりも、はるかに少ない量が加えられていく出汁を、その都度、味見をさせてもらう。飲み比べてみると違いは明確だった。そして、すべて足したとき、味は決して強くならず、輪郭が整い、奥行きが生まれていく。
「“少々”がわからない、という声は多いですね。でも、実はこれくらいなんです。この“少々”は、塩味をつけるためではありません。素材の甘みを引き立てるため。日本料理の核は水で、出汁は水が8割。水に香りをつけていく感覚なんです」
言葉としては知っていたはずの“少々”の意味が、舌と鼻を通して、身体の感覚として落ちてくる。
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昆布だけ、鰹を加えたもの、鰹を絞ったもの、調味したもの。工程ごとの違いを、味で確かめる。
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”少々”を実演。想像よりも少ない量に驚かされる。
前菜は、水菜と大徳寺麩の胡麻和え。節分の“魔除け”を意味する柊のイメージを重ねた一品だ。
「今の水菜は露地物で、シャキシャキした食感が本来の姿です。湯がいて出汁に漬け、色を生かす。薄口醤油、お酒、砂糖を加えて胡麻和えにします。さっぱりした風味の水菜だからこそ、砂糖をしっかり入れて味に奥行きを出す。定番の胡麻和えも、季節や素材によって工程は変わります」
続く一品は、蟹の奉書(ほうしょ)巻き。薄切りの大根を、お祝いの場で使われる白い奉書紙に見立てた料理だ。節分を“春を迎えるめでたい節”として捉え、蟹の紅白の色合い、とろろ昆布の「よろこんぶ(喜ぶ)」を重ねる。どの工程にも、どのあしらいにも、必ず意味がある。その積み重ねが、日本料理を日本料理たらしめていることを実感する。
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実演の途中で、生徒が体験する場面も。「ごますりは、すり鉢を押す力を使い、右手は添えるだけです」
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みずみずしい水菜の胡麻和え。砂糖を効かせ、味に立体感をもたせる。
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奉書巻きには、鬼の角に見立てた早春の芽甘草を添えて。
「料理は、五感のトレーニングです。大切なのは、結果よりも“過程”。なぜこの工程が必要なのか、なぜ今この食材なのか。その理由を理解して、はじめて思い描いた味に近づけます。まずは『こんな味にしたい』と、おいしさをイメージすること。土台があれば、そこから先はいくらでも応用が効きます」
30年のあいだに、食材や調理法も大きく変わったと、粟飯原さんは語る。
「便利になったぶん、手をかけなくてもおいしくなる。でも、だからこそ“理由”は覚えておいてほしい。特別な食材じゃなくて、スーパーにある旬のものでも、理由をもって使えば、必ずおいしくなります」
出汁の香りに始まり、味の奥行きへと至るこの時間は、単なる料理の実演ではない。五感を研ぎ澄まし、理由を知り、過程を身体に刻む——日本料理の“稽古”が、静かに進んでいく。
器・しつらい・礼——料理の外側にある「和」の核心
一二三庵の教室が特別なのは、料理だけに終わらない点にある。器、空間、所作、年中行事——学ぶのは、日本人が長い時間をかけて育んできた感性そのものだ。
教室の軸に据えられている考え方が、「器・食材・礼・縁」。器は「料理の衣」であり、季節と料理をつなぐ媒介でもある。古伊万里、備前、輪島塗。名品とされる器を実際に手に取ることで、重みや手触り、わずかな温度の違いが身体に残る。
気さくな女将による年中行事やしつらいの話も、この教室の大きな柱だ。格式ばった日本文化を語る場面でも、女将は小さな冗談を交えながら、場の空気をやわらかくほどいていく。
「忙しい日常では、どうしても季節を見失いがち。ここでは、鎧を脱いで、素に戻っていただきたいんです」
例えば、七夕の笹、重陽の節句の菊。それらは単なる装飾ではなく、大切な人への祈りや感謝の記憶だ。行事の由来に触れながら、食べることそのものへの感謝についても、さりげなく言葉が添えられる。
「簡単に手に入るからこそ、忘れてしまう感謝があります。お米ひと粒やお水の大切さ、行事に込められた祈りを、少しでも思い出していただけたら」
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骨董の蒔絵椀。季節の梅と霊芝が描かれた、格調高い装飾。
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食器棚には器の名品が静かに並ぶ。
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「日常に季節を呼び込みましょう。ひと枝の葉を添えるだけで、食卓は変わります」と女将。
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女将による手書きの品書き (1月の教室のもの)。季節により毎回内容が異なることもあり、長年通い続ける生徒も少なくない。
女将の語りは、日常では置き去りにされがちな「感謝の心」を、押しつけがましくなく、そっと手渡してくれる。和歌や物語とともに紐解かれることで、料理は文化への入口となり、話を聞いたあとに口にする一膳は、自然と味わいを深めていく。
稽古のあとは、客間に移り、同じ時間を過ごした人たちと食卓を囲む。肩書きを外し、言葉を交わし、笑顔になる。その自然な時間こそが、「縁」を育てていくのだ。
料理教室という名の未来への継承———料理が変わると、日常が変わる
いよいよ試食の時間。器に手を伸ばす瞬間の重み、口に運ぶまでの所作。味わう前から、体験はすでに始まっている。ひと口含むと、滋味深く、やさしい味が広がり、静かな満足感が身体に満ちていく。
粟飯原さんは、印象的なエピソードを教えてくれた。
「生徒さんのお子さんが、顆粒だしでつくった料理は食べなかったけれど、きちんと出汁を引いた料理は、全部食べたそうなんです。教室に遊びに来た乳幼児さんも、昆布だしを出すと驚くほどごくごく飲む。子どもは、知識ではなく、本能で食べているんだと感じます」
五感は、嘘をつかない。だからこそこの教室では何度も味を確かめ、香りを嗅ぎ、手で触れることを大切にしている。
教室を重ねるうちに、生徒の暮らしは少しずつ変わっていく。「旬の食材や、季節の花や香りに目が向くようになった」「日常の景色が変わった」「食卓で『おいしい』という言葉が増えた」。それは単に料理が上達したからではない。五感と向き合う時間のなかで、感性が少しずつ調律されていくからだ。
料理を学びに来ているはずなのに、帰る頃には、心の呼吸が整っている。料理が変わると、暮らしの解像度が上がる。一二三庵の教室が教えているのは、その実感にほかならない。
「料理は、その人の生き方そのものです。和食の“引き算の美学”——素材の生命を尊重し、最低限の手数で最大限のおいしさを引き出す考え方は、人生の選択にも通じます。教室で学んだ和食の哲学を、ご自身の豊かな時間をつくる感性として、生かしていただけたら嬉しいです」
一二三庵が目指すのは、技術の伝承で終わらない場所。ここで育まれた感性が、それぞれの家庭の食卓へ、そして次の世代へと手渡されていくこと。
料理は、日常をつくる。日常は、生き方をつくる。
神楽坂の静かな一角で紡がれているのは、そんな当たり前で、かけがえのない循環なのだ。
一二三庵(ひふみあん)

TEL 03-5228-2272
東京都新宿区矢来町102-5 1階
料金:1回27,500円(税込)〜
※ビジター体験稽古あり
※定期受講には入会金が必要
取材・文/渡辺満樹子 写真/広川智基 編集/株式会社都恋堂(ヤソメユウヤ)
●取材時期:2026年1月下旬
※掲載内容は時期や天候、施設の諸事情により変更となる場合があります。