すさまじい形相で畳にあがり、闘志をむき出しにする柔道でロンドンオリンピックの頂点に輝いた女性は、幼少期から青年期にかけて、厳しすぎる練習に怯え、一度は逃げたが、自分を見つめ直して新たな道を拓いた。天才ではない自分が勝つにはどうすべきか。いま、苦闘の日々を振り返る。
2025.8.25
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松本 薫 まつもとかおり
1987年、石川県金沢市生まれ。5歳から柔道とレスリングを始め、中学3年生で全国中学校柔道大会52キロ級優勝。高校2年生で全国高等学校総合体育大会柔道競技大会(インターハイ)優勝。2010年以降3年連続で柔道女子57キロ級の世界ランキング1位となる。2012年ロンドンオリンピックで金メダル、2016年リオデジャネイロオリンピックで銅メダルをはじめ、数々の輝かしい成績を残し、国際大会では20回、国内大会では17回の優勝を果たす。2019年に現役引退後は、ダシーズファクトリー製品開発本部ゼネラルマネージャーとして、ギルトフリーアイスクリームの商品開発から店舗運営までに携わっている。東京富士大学経営学部 客員准教授。
野獣の表情を笑顔に変え、相手を混乱させた
いまから13年前の2012年、柔道家の松本 薫氏は、24歳でロンドンオリンピック柔道女子57キロ級で優勝し、同大会では日本柔道唯一の金メダルを獲得、凱旋帰国した。
獣が咆哮(ほうこう)するときのような表情で相手と対戦する姿からつけられた愛称は「野獣」。試合後、表彰台で見せた笑顔とのギャップが印象的だった。この優勝によって、オリンピック、世界選手権、ワールドマスターズ、グランドスラムの4大タイトルすべてを制覇した史上初の選手となった。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは銅メダルを獲得。結婚、出産後も続けた競技生活に、2019年、ピリオドを打った。そんな松本氏の柔道人生は、試練の連続だった。
「兄や姉が習っていた道場で柔道を始めたのですが、道場の先生の指導が苛烈なので、私はただ、その指導を受けたくなくて、試合に出ても目立たないように、わざと2回戦で負けたりしていました。あまりの指導の厳しさから、消えてしまいたいと思ったこともあります。でも、そんなことをしたら母が悲しむと気付いて踏みとどまりました」
しかし、柔道を好きになったわけではなかった。先生に叱られないようにふるまうこと。そればかりを考えていたという。
「本当はケーキ屋さんやアイスクリーム屋さんになりたかった。学校の友だちと遊びたかったし、バスケットボールや陸上競技もやりたかった。でも、全部、柔道のために犠牲にしてきたんです」
好きなことを我慢して打ち込んだ柔道は、中学3年のときに全国中学校柔道大会で優勝。卒業後は東京の高校に進学。オリンピック選手の育成を目指す実業団の寮に入って練習に励んだ。そして、高校2年でインターハイ優勝。オリンピックへの階段をまた1歩上ったかに見えた。しかし、実際はそうではなかった。
「インターハイ優勝の前から練習をサボっていて、遊んでばかりいたんです。それで道場をやめることになり、学校も中退して、石川県へ帰りました。このときは、嫌いだった柔道をやめるチャンスだと思っていました」

日本一になれば、その先に何かが見えるだろうと思った
もしこのとき柔道をやめていれば、ロンドンの栄光はもちろん、世界に松本 薫の名前がとどろくこともなかった。何が松本氏を踏みとどまらせたのか。
「子どものころから毎日12時間、柔道の練習をして、学校の友だちと遊ぶこともできず、減量のために食べたい物も我慢してきた。そんな私から柔道を取りあげてしまったら、いったい何が残るだろう。残るのは、やりたいことをやらなかった後悔だけだ。そんな私が大人になっても、私はこれをやりましたと伝えられるものがあるだろうか。そんなことを考えました」
さまざまな犠牲を払ったからこそ、本当に自信のもてる何かがほしい。そう思った松本氏が目指したのは、日本一になることだった。
「嫌いだった柔道を、自分にとって自信がもてるものにしたかった。そこで立てた目標が日本一になることでした。それを達成できれば、また先に見えてくるものがあるだろうと」
進学したのは柔道の名門、帝京大学。ここで松本氏は、だれにいわれたからでもなく、自分の意志で柔道に取り組んだ。そして2年生の秋には、講道館杯で優勝し、初めて全国シニア大会で日本一の座を勝ち取った。しかし、その後の国内外の大会では勝ったり負けたりが続いた。
「自分の型、自分の柔道で勝ち抜いていく天才がこの世界にはいるんです。わずか1パーセントの天才たち。でも私は残り99パーセントの一般人なんです。闘っていくうちに、それを痛感させられました。一度、日本一にはなれたけれど、このままではオリンピックには出られない。限界が見えていました」
才能で劣る私が勝つためにしたことは
松本氏は、考えられることをすべて実践した。国内試合なら1ヵ月前から、国際大会なら3〜6ヵ月前から、日常のしぐさを男性的なものにした。
「男性や、強い女性アスリートには、しぐさや動き、考え方に共通するものがありました。それは観察しているうちに気付いたのですが、私もそれを真似しました。ほかには夜明け前、真っ暗なうちに高尾山に登ったりしましたが、それは、五感を研ぎ澄まし、第六感を養うためです」
極限まで自分の力を高める一方で、松本氏は実にユニークな戦術を試みた。闘志をむき出しにした、いわゆる野獣の顔も、実は戦術のひとつだったという。
「試合前の相手は100パーセントの状態です。その力を、例えば80パーセントに下げることができれば、私が勝つ可能性はそれだけ上がると考えたのです。だから、試合前、控室で互いに目も合わせず、口もきかずに準備運動をしているときに、ふと、野獣の表情を崩してにこりと笑って話しかけてみたりしました。相手からすれば、こちらが何を考えているかわからない。そうやって相手の気持ちを乱すのです」
いかにすれば、相手との力の差を克服できるか。まさに逆転のための発想の限りを尽くして、松本氏は世界一の座に輝いた。
20歳のときに交際を始め、8年付き合ってから結婚した夫は、その間、松本氏を支え続けたという。
「試合前の戦闘モードに入ったら、女性的であることを封印してきたわけですから、メールへの返事もせず、旦那さんには迷惑をかけました。一緒に暮らしているときも1メートル以内に近づかないでといったり。試合を見に来てくれても、そこでは私が野獣になってますからね(笑)」
野獣の表情をすることは、試合への恐怖心を払拭するための行為でもあった。松本氏はやれることをすべてやって、自分を鼓舞し、鍛え抜き、相手を戸惑わせもして、闘い抜いた。
柔道より子ども。引退後の新たな道
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、連覇を目標に出場したが3位に終わった。その年の秋、結婚。休養に入り、翌年に出産。母となってあらためて東京オリンピックを目指したが、2019年2月、引退を表明した。
「子どもと一緒にいる時間をもっと大事にしたい。そう感じたとき、牙が抜けました。闘うためのもうひとりの自分を作ることからも解放され、本当に自由になれたと思いました」
松本氏が引退後に選んだ道は、スポーツキャスターでもタレントでも、柔道の指導者でもなかった。
「所属先の会社が、アイスクリームの事業を立ちあげようとしていたときで、そこに手を挙げました。アイスクリーム屋さんは、私の小さいころからの夢でしたし」
松本氏はダシーズファクトリーというアイスクリーム製造販売会社で、開発と製造・店舗運営を担当することになった。
「体内の酸化や糖化、肥満を気にせず、アレルギーのある人や食習慣の違いから食べられない物があるすべての人々に、安心して、おいしく食べてもらえる日本発祥のアイスクリームを開発し、世界に発信したいと思います。柔道では相手の弱点を見抜いて勝つことに集中しましたけれど、いまは、ともに新しいアイスクリームの仕事をするみんなの潤滑油になろうと思っています」
HISTORY

笑顔が愛くるしい、幼いころの松本 薫氏。5人きょうだいの4番目(三女)として育った。
1987年
石川県金沢市に生まれる
1993年
6歳になる直前に柔道とレスリングを習い始める

いかにきれいに負けるかを考えていた中学生のころ。負けるタイミングを逸して全国優勝した。
2002年
全国中学校柔道大会52キロ級で優勝
2003年
東京都内の藤村女子高等学校に入学
2004年
全国高等学校総合体育大会柔道競技大会優勝後、金沢の金沢学院東高等学校に転校
2005年
2回目の海外遠征となるドイツジュニア国際柔道大会で金メダルを獲得。全日本ジュニア柔道体重別選手権大会優勝

帝京大学女子柔道部の仲間たちと。右端が松本氏。
2006年
帝京大学に入学。女子柔道部に入部
2009年
本格的にワールドツアーへの参戦を始める

強化合宿で、レスリングの選手たちとの合同練習後に記念撮影。前列右から4人目が松本氏
2010年
国際柔道連盟の世界ランキングで、柔道女子57キロ級の第1位を獲得(2012年まで3年連続)。世界柔道選手権大会・東京女子57キロ級優勝
2012年
ロンドンオリンピック柔道女子57キロ級金メダル。紫綬褒章受章
2015年
世界柔道選手権大会・アスタナ女子57キロ級優勝
2016年
リオデジャネイロオリンピック柔道女子57キロ級銅メダル。8年間の交際を経て結婚
2017年
第一子を出産
2019年
現役引退。ダシーズファクトリーのアイスクリーム店「ダシーズ ギルトフリー アイスクリームラボ」のスタッフとなる。第二子を出産
2021年
東京オリンピックでは、名解説者として評判になる

アイスクリーム店に立つ松本氏。気さくな人柄で周囲の人を笑顔に。
2024年
製菓衛生師(国家資格)を取得
取材・文/大竹 聡 写真/鈴木 伸