過疎の村が魅力あふれる滞在先にの代表イメージ

SDGs 世界の街からエシカル通信

エミリア=ロマーニャ州/イタリア

過疎の村が魅力あふれる滞在先に

山の幸を生かした料理が楽しめるレストランは、地元の人々とアルべルゴ・ディフーゾに泊まるゲストでにぎわう。

人や地球環境、社会、地域に配慮したエシカルな考えや取り組みを、世界の街で暮らす人たちが日々の目線を通してレポートします。

2025.8.25

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 南北に長く、美しい海岸線をもち、半島を貫くように山々がそびえるイタリアは、地域ごとの魅力が多彩で、何度旅行しても飽きることがない。しかし、1970年代以降、主に山間にある小さな村は、若者の都市部への流出による過疎や高齢化などの問題に直面している。空き家が目立ち、村は元気を失う状況が進んでいる。
 それを観光で解決する方法のひとつとして、イタリアで生まれたのが「アルベルゴ・ディフーゾ」だ。イタリア語でアルベルゴとは「宿」、ディフーゾは「分散」という意味をもつ。村や集落全体をひとつの宿としてとらえ、空き家を宿泊施設とする。レセプション機能は村の中心にあるカフェなどが担い、ディナーは村内のレストランを利用する。集落全体で、コテージが集まったリゾートのような機能を果たすというものだ。

アルベルゴ・ディフーゾ「ヴェッキオ・コンヴェント」は村の活気の中心に

  • レストランで、マリーザさんとジョバンニさん。ふたりの息子と仲間たちが厨房を担当する。

  • 18世紀の家具を生かし、昔の暮らしを感じることができる客室。

  • レセプションを兼ねたカフェは村人憩いの場。

 一方、旅行者は伝統的な村の暮らしや地元のグルメ、村の人々との交流などを通してその村の一員になったかのような滞在を楽しめる。1980年代に北イタリアの小さな村からスタートしたアルベルゴ・ディフーゾは徐々に全国に広がり、いまではアルべルゴ・ディフーゾ協会に登録されている施設だけで、イタリア全土に85もの参画施設がある。
 イタリア中部の都市フィレンツェとアドリア海に面した古都ラヴェンナとの中間地点、アペニン山脈の山中に位置するポルティコ・ディ・ロマーニャ村は、メディチ家の領地だった歴史ある村だが、交通の不便さから過疎が進み、徐々に村からレストランや商店が減っていった。この村の出身で、ミラノでレストランを営んでいたマリーザさんと夫のジョバンニさんは、「これでは故郷の村がなくなってしまう」と、約40年前にポルティコ・ディ・ロマーニャに戻り、アルベルゴ・ディフーゾ「ヴェッキオ・コンヴェント」を始めた。空き家を買い取って自宅にしていた18世紀の建物を9室のゲストルームにリノベーションし、その後50メートル程離れた空き家にも6つの客室を造った。水回りは快適にリノベーションしたが、家具は当時使っていたものをそのまま残している。それが「伝統の暮らしを感じられる」「アンティーク家具がすばらしい」と旅行者に人気に。また、レストランも運営し、この地ならではの山の幸をふんだんに使った料理を中心に提供したところ、地元の人々と旅行者でにぎわい、そこに交流が生まれるようになった。

中世の魅力に満ちた小さな村、ポルティコ・ディ・ロマーニャ

  • 村はエミリア=ロマーニャ州に属し、アペニン山脈の山中にある。トリュフの名産地でもある。

  • ルネサンス期からの中世のたたずまいが残る。村の人口は300人程。

 やがて村人が旅行者をトリュフのハンティング体験に連れていくアクティビティーや、ローカルワインのテイスティングなども始まり、いまでは、観光が村の主要産業に成長している。
 「村人にとって自分たちの村の誇りを取り戻すきっかけになったのがなによりです。そして、陶芸家や彫刻家など、アーティストの移住者が増えています」とマリーザさん。
 アルベルゴ・ディフーゾのコンセプトは、過疎の村を活性化する解決策のひとつとして、ほかの国々にも広がっている。

取材・文・写真

入江啓祐 Keisuke Irie

フォトグラファー。大学卒業後、航空会社に勤務、ペルージャ大学でイタリア語を学んだ後、ミラノに3年在住。独立してフォトグラファーとなり、ヨーロッパ、とくにイタリア各地で撮影を重ねると同時に、ミラノ万博のコーディネーションなど、日本とイタリアの食の交流事業にも携わる。

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