ハンバーグ、オムライス、エビフライ……。子どものころから馴染みのある家庭の味も、大人になって出かける洋食店では、その存在がまったく違った輝きを放って見える。落ち着きのある空間で手の込んだひと皿と向き合うひとときは、ニッポンの食文化との出合いのひとつとして記憶にとどめたい体験だ。
2025.6.24
老舗洋食店に聞いた、その魅力の奥深さ
幕末から明治期に欧米から伝わった西洋の料理は、日本でどのように進化し、いまも愛される“洋食”になったのか。洋食店として明治初頭からの長い歴史をもつ「精養軒」の総支配人、秋元秀夫氏に聞いた。

「明治維新は食の維新ともいわれています。近代化改革のなか国策として、食事も西洋に倣うよう舵が切られました。海外のお客様へのおもてなしと、日本人の体力強化のため、肉や牛乳を使う西洋料理が奨励されました」と秋元氏。
岩倉具視の家臣だった北村重威(しげたけ)が東京・築地に「精養軒」を創業したのは1872(明治5)年のこと。当時はレシピ本などなく、料理人たちは港町に駐留している船員や、外国人居留地の料理人から作り方を教わったという。開業の数年後には、岩倉から北村のもとへ、上野に公園を造るのでそこに支店を出してほしいと要請があり、1876(明治9)年、公園内の不忍池のほとりに「上野精養軒」がオープン。その後、明治中期からは、徐々に一般の人々にも西洋料理が広まった。

「大きな転機になったのが関東大震災です。築地精養軒は焼失し、多くの西洋料理店が営業できない状態でした。職場を失った料理人は自分で店を開き、徐々に庶民も西洋料理を楽しめるようになりました。“洋食”として親しまれるようになったのは、このころからでしょう。調達しやすい食材で、主食であるご飯に合うよう工夫され、独自の進化を始めたのです」
第二次世界大戦後の連合国軍による占領下、洋食がアメリカナイズされ、スパゲッティーナポリタンが登場。高度経済成長期には百貨店の食堂で提供されるお子様ランチが人気に。1970(昭和45)年の大阪万博以降はファミリーレストランが登場し、ハンバーグが全国に広まった。
長い歴史のなか、皇族や政財界、軍人などに愛された精養軒には、多くの著名人が訪れた。1879(明治12)年に上野精養軒で開催されたグラント将軍(南北戦争の北軍総司令官でアメリカ大統領経験者)の歓迎会には、渋沢栄一も出席。大正時代になると森 鴎外や夏目漱石らの文豪が利用し、鴎外の『青年』や漱石の『三四郎』などの小説でも精養軒は登場している。

本格西洋料理店の草分けとして、創業153年を迎えた精養軒では、ドミグラスソースやコンソメスープなどに、手間暇かけた昔ながらの味わいが継承されている。
「近ごろは、日本を訪れる外国人の間でも洋食は人気です。彼らは洋食を和食として認識しているのが興味深いですね」
洋食への想いは世代で異なるが、かつてハレの日の外食は洋食だった。幼いころに食べた洋食の記憶は大人になっても残り続けている。

上野精養軒本店 レストラン(洋食)[東京]

上野恩賜公園の不忍池を見下ろす店内。新緑や紅葉の季節はテラス席も人気。
TEL 03-3821-2183
東京都台東区上野公園4-58
11:00AM~4:00PM(L.O.)(土・日・祝 10:30AM~5:00PM(L.O.))
月曜(祝日は営業)、年末休
洋食の代表的なメニュー5品
懐かしくホッとする味に出合えるのは、洋食店の大きな魅力。そのなかから代表的なメニューを、東京・神田神保町の洋食店「ランチョン」から紹介する。
1909(明治42)年創業、日本のカルチェラタン、神田神保町に根を下ろす「ランチョン」は、ビヤホールであり、洋食メニューが評判の店。品揃えはビールに合うつまみからメインまで幅広く、昔ながらの洋食が味わえる。濃厚なバターと卵でうまみを包み込んだオムライス、じっくり煮込んだデミグラスソースのビーフシチュー、軽やかな衣のなかから肉汁があふれるメンチカツなど、オーソドックスな姿が美しい。
ランチョンではメンチカツ、ハンバーグ、ビーフシチューなど多くの料理にデミグラスソースが使われている。手間のかけ方が洋食店の価値を左右するともいえるデミグラスソースだが、その作り方について4代目当主の鈴木 寛氏に尋ねると「昔ながらの普通の手作りです」と答える。だが、さらに詳しく聞けば、「香味野菜やフレッシュトマトがくずれるまで煮込み、すり潰して一度濾し、さらに目の細かいシノワに替えて……」と多くの手間がかけられているのがわかる。野菜の甘みが感じられるやさしい味わいだ。ランチョンでいう「普通のハンバーグ」や「普通のナポリタン」は、未来に伝えたい愛すべき“普通”だ。
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オムライス
フランス語のオムレット(omelette)と英語のライス(rice)を合わせた名前をもつ。起源には諸説あるが、1925(大正14)年、大阪の洋食店で、胃の調子が悪く、いつも白いご飯とオムレツを食べていた常連客のために、店主がタマネギとケチャップで炒めたライスを、薄焼き卵で包んで出したのが始まりといわれ、やさしさに包まれた味わい。ランチョンの「オムライス」(1,200円)は、卵を巻く前にご飯の上にパルメザンチーズを振りかけている。
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スパゲッティーナポリタン
連合国軍の接収下にあった横浜のホテルで、米兵がスパゲッティーにケチャップをかけて食べているのを見て、当時の料理長が作ったのが始まりとされる。バブル期のイタメシブームの前は、スパゲッティーといえばナポリタンが主流。よくゆでた太めの麺を、野菜やハム、ケチャップなどで炒めるナポリタンは、イタリアにはない、日本独自の料理。ランチョンオリジナルのトマトソースで炒めた「スパゲッティーナポリタン」(1,200円)。
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ビーフシチュー
日本でシチューがレストランのメニューに登場したのは1871(明治4)年、東京・九段にあった西洋料理店とされる。品書きに「シチウ 牛、鳥うまに 二匁五分五リン」と書かれていた。牛肉や野菜から丁寧にとったブイヨンをベースに作るデミグラスソースを使ったビーフシチューは、いまでも洋食店の花形メニュー。肉とソースが混然一体となった味わいは、ご飯との相性も抜群。「ビーフシチュー」(2,500円)。
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メンチカツ
1900(明治33)年ごろ、東京・銀座の洋食店で、豚肉にパン粉をまぶし、油で揚げたポークカツレツが大人気となったことから、その挽き肉バージョンを考案したのがメンチカツの起源とされる。「挽き肉」を意味する「mince meat(ミンスミート)」を店主が「メンチミート」と聞き間違えたため、「メンチカツ」と命名されたという。「自慢メンチカツ」(1,300円)は、牛肉多めの合い挽き肉とタマネギで作り、ボリュームたっぷりでジューシー。
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ハンバーグ
牛肉と豚肉の合い挽き肉を使用し、炒めたタマネギとパン粉を加えて作るハンバーグは、ドイツ風のジャーマンステーキやミンチボールなどの挽き肉料理が日本で進化した料理。1960年代の高度経済成長期に家庭でも広く作られるようになり、現在も国民的洋食メニューといえるが、デミグラスソースを使用したタイプは、レストランならではの味。「ハンバーグ」(1,500円)は、昔ながらの手作りデミグラスソースがたっぷりで、目玉焼き付。
ランチョン[東京]

ひとりでもグループでも、気取らず、日常的に利用できる雰囲気の店内。開店から3:00PMまでのランチセット、昼休みなしの通し営業もうれしい。
TEL 03-3233-0866
東京都千代田区神田神保町1-6
11:30AM~9:00PM(L.O.)(土 ~8:00PM(L.O.))
日・月・祝、夏季(9月予定)・年末年始休
取材・文/土井ゆう子 写真/伏木 博
●取材時期:2025年2月中旬 ※価格は消費税込。 L.O.=ラストオーダー
※価格など掲載内容は時期や施設、店舗の諸事情により変更となる場合があります。