慌ただしい日常の中で、ふと立ち止まる時間をくれる一杯のコーヒー。「スペシャルティコーヒー」という言葉が広く知られるようになって久しいが、その本質は手仕事の価値にある。コーヒー農家が手間暇をかけて育てた豆とその想いを受け継ぎ、ロースターたちは焙煎という過程を経て豆の個性を最大限に引き出し、消費者へ届ける—。「OBSCURA COFFEE ROASTERS」もまた、そんな特別な一杯を“日常のコーヒー”として届け続けている存在だ。
2026.02.05
「好き」という情熱が、未知なるコーヒーの世界へ
東京・三軒茶屋と広島を中心に展開する「OBSCURA COFFEE ROASTERS(以下、オブスキュラ)」。洗練されたスマートな店名でありながら、コンセプトはあくまでも“街のコーヒー店”。その証拠に、高品質なスペシャルティコーヒーを取り揃えながらも、あくまで日常に寄り添うリーズナブルな価格帯を貫いている。
三軒茶屋駅の近くにある「Home」は、コーヒー豆やドリンクはもちろん、自宅での時間を豊かにしてくれる花や器もそろう。落ち着いた休憩スペースが併設され、訪れる人がゆっくりと一息つける、街の人がおいしいコーヒーを気兼ねなく味わえる。そんな居場所づくりは2009年から始まった。
建設業に勤めていた柴さんが飲食業へ転身したのは、一杯のスペシャルティコーヒーとの出合いがきっかけだ。元々コーヒーが好きで取り寄せた、エチオピアの豆。ひとくち含んだとき「新しい世界が開く予兆を感じる!」と衝撃を受けた。その直感が、未知なる世界への一歩を踏み出させた。
「会社では課長の顔で、家に帰れば母の顔。そんな、社会で誰もが持つさまざまな顔を脱ぎ捨てて、一人でゆっくり過ごすことができる時間を提供したいと思うようになりました」
そこで柴さんが開いたのは、昼12時から夜23時まで営業する喫茶店。こだわりのコーヒーとシフォンケーキを提供した。だが、「店で待つだけではスペシャルティコーヒーの素晴らしさは広がらない」と自ら焙煎したコーヒー豆をたずさえ、近隣の飲食店に飛び込み営業を重ねた。こうして、三軒茶屋でスペシャルティコーヒーが根付く土壌をたがやし始めた。
日本人にとってコーヒーは、「黒くて苦い」というのが一般的な認識だ。オブスキュラが提供する「フルーティで甘い、紅茶のようなコーヒー」は、多くの人にとって未知の領域だった。ひとくち飲んだお客の「苦くないんだ!」という驚きの表情は、狙い通りだった。
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三軒茶屋駅から徒歩約30秒の場所にある「Home」は、入りやすくオープンな外観が印象的。店先では「今日の花」を販売している。
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入店するとコーヒーの香りがふわり。両脇にはコーヒー豆やコーヒー関連の商品が並ぶ。
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スペシャルティコーヒーを日常に気軽に取り入れて欲しいという想いからドリップバッグも取りそろえる。
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テイクアウト店だが、奥にはベンチスペースも。フェア期間中は、農園の写真やその土地の民芸品を展示し、関連イベントも開かれている。
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広島駅やひろしまスタジアムパークなど、広島市内に4店舗を展開。(写真:オブスキュラ提供)
ブーム以前から「サードウェーブコーヒーの本質」を静かに見抜く
スペシャルティコーヒーが日本で広く認知され始めたのは、2015年頃。アメリカのサードウェーブコーヒー店の日本進出がきっかけとされている。
サードウェーブとは、大量生産のファーストウェーブやカフェラテブームを生んだシアトル系のセカンドウェーブに続く第三の波。豆の品質や淹れる体験を重視した、浅煎りが基調のコーヒースタイルだ。セカンドウェーブへのカウンターとしても位置づけられ、生産者の顔が見える高付加価値の豆を使ったスペシャルティコーヒーは欠かせない存在となった。オブスキュラもサードウェーブの影響を受けたが、ブーム以前からその本質を実践していた。スペシャルティコーヒーが注目され始めても、柴さんのスタンスは冷静だ。
「当初はカフェ特集などで紹介されていましたが、最近ではカルチャー誌で取り上げられることが増え、裾野が広がったという印象はあります。でも、スペシャルティコーヒーをもっともっと広げたいという大それた思いはなく、嗜好品の一つとしての楽しみ知ってほしい、ただそれだけでした」
ブームの渦中では、スペシャルティーコーヒーの酸味にフォーカスするロースターが目立っていたが「酸っぱすぎる」と感じる人もいるのではないかと柴さんは分析。スペシャルティコーヒーへのリテラシーの高い層から一般層へ浸透する過程だからこそ、もう少し飲みやすさを加味してもいいのでは、と考えるようになる。
そこでオブスキュラでは、“柔らかな味づくり”にこだわることに。酸味を控えめにして濃度を調整し、ほんのり甘く、誰もが一杯を飲んで「おいしい」と感じられるコーヒーを目指す。そのために器具を変えるなど、日々改良を続けてきた。
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店舗近くに焙煎所を構えることで、焙煎したコーヒーをいち早くお客に提供できる。
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グリーンビーンズ(生豆)という名の通り、緑がかった状態で輸入。発酵度合いで色が異なる。これを焙煎してコーヒー豆として仕上げる。
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焙煎した豆の香りを確かめる。コーヒーの味わいを設計するのは焙煎士の仕事。
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焙煎したての豆を使ったコーヒーは、柔らかな甘味が心地よい。エスプレッソドリンクは深煎り・浅煎りから選べる。
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直接買い付けた民藝の器も一部の店舗で購入可能。いつ訪れても新しい発見がある。
支援ではなく対等なビジネスとして、農園と共に歩む
創業当初、生豆は多くの店と同様に専門商社から仕入れていた。農園と直接取引をするようになったのは、2014年頃から。「ルワンダから豆を仕入れたいが、売り方がわからない」という知人の相談がきっかけだった。
その縁で、柴さんはルワンダの農園へ向かうが、現地の光景は想像を絶するもので「そもそも、おいしいコーヒーを生産できる環境じゃない」という印象だった。高品質なコーヒー豆を育ててもらうには農園の協力が不可欠だが、そのためには彼らの生活を安定させることが最優先だった。
「スペシャルティコーヒーは、通常のコーヒー豆の中の数パーセントに過ぎません。所得を増やすには“量”を売る必要があり、数パーセントの売上だけでは農園の従業員に十分な賃金が行き届くはずもないのです。彼らの暮らしを目の当たりにすると、『支援したい』という気持ちになる。ですが、寄付金は一過性のもの。僕が体感したのは、継続して豆を買い続けることが一番の助けになるということ。ビジネスとして徐々に取り引きする量を増やし、お互いに成長しようとしています」
継続して買い続けるためには信頼の構築が重要だ。だからこそ、柴さんは品質に対するフィードバックをするだけでなく、毎年のように現地に足を運び続けて意見交換を重ねる。その二人三脚の姿勢が信頼関係となり、おいしいコーヒーの要となる。
さらに「味づくり」にも踏み込む。これまで見過ごされてきた基本作業から、乾燥工程や選別のタイミングといった繊細なプロセスまで見直し、オリジナルの豆を共につくり上げる。柴さんにとって、農園の人々は「仕入れ先」ではなく、未来を創る「パートナー」なのだ。
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ルワンダ西部・ニャマシェケ地区にあるこのステーション(選別、精製、乾燥などの一次加工が行われる集積所)は、近年、毎年のようにクオリティを高め続けている。(写真:オブスキュラ提供)
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当たり前のように飲んでいる1杯のコーヒーは、多くの人の手と努力に支えられている。(写真:オブスキュラ提供)
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日本のコーヒー市場においてまだあまり知られていなかったルワンダの豆を2015年から提供。(写真:オブスキュラ提供)
日常を格上げする、大人たちのためのコーヒー術
自宅でホッとできる特別な時間を過ごしてもらえるように、オブスキュラではコーヒー豆の販売も行っている。プロでなくてもおいしいコーヒーを味わえるように、柴さんに淹れ方のコツを教えてもらった。
1.基準を確認する
粉の量と注いだお湯の量を測る。まず自分がどう淹れているかを確認し、基準を知ることができれば、ブレない味が出せるようになる。シンプルでありつつ最も重要なポイント。
2.お湯の温度を意識する
89〜90度くらいがおすすめ。苦味を強く出したい場合は90〜95度、柔らかい味を出したい場合は、少し温度を下げると良い。
3.豆で買い、挽き目を知る
次はグラインダー(ミル)で豆を挽いてみること。挽き立ての香りは別格。豆の挽き目(粒度)でも味は大きく変わるため、好みを探っていこう。
4.上級者は自分でブレンドを
2種類の豆を買ってきて、今日はA、明日はB、次はAとBを2:8で混ぜてみるなど、自由に試す。試行錯誤も楽しみになる。
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おいしいコーヒーの淹れ方や保存方法なども丁寧に提案。
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豆と水、温度。少し変わるだけで味も違ってくる。好みのレシピを見つけるまでの実験を含めて、コーヒーを楽しみたい。
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知識豊富なバリスタに相談するのもおすすめ。豆や状態に合わせて適切なアドバイスをもらえる。
全てのコーヒーをおいしく。持続可能なサイクルを目指して次なる挑戦へ
オブスキュラの店頭に並ぶ豆は、最高品質でありながら、驚くほど価格が抑えられている。「信じられない」と言われることもあるそうだが、それこそが柴さんの哲学だ。そして今、柴さんは次の挑戦を見据えている。
「リーズナブルで手に取りやすいほうが、お客さんも日常的に飲んでくれます。結果として、私たちは農園からもっと多くの豆を買うことができるんです。それと、いわゆるコマーシャルコーヒー(通常の安価な豆)をもっと丁寧に焙煎・抽出し、誰もがおいしいと感じられる味わいに仕上げて広めたいとも考えています」
それは、最高品質だけに注目するのではなく、コーヒー業界全体を底上げし、より多くのコーヒー農園の人々の生活を安定させることにつながるから。
「コーヒーを取り巻く問題は山積みです。気候変動の影響を受けて、世界的にコーヒー豆の価格も高騰しています。でもコーヒーのおかげで今の自分たちがあるので、コーヒーに還元していきたいんです」
取材を終え、淹れたての一杯を口にする。確かに苦味がない。柔らかな甘味と紅茶のような華やかな香り。フルーティという言葉の意味が、体験を通して腑に落ちた。この一杯の裏側には、三軒茶屋での地道な活動と、遠く離れた農園のつくり手たちの情熱が溶け込んでいる。柔らかな味わいは私たちの日常に、そっと寄り添い続けてくれるのだろう。
OBSCURA COFFEE ROASTERS
【東京】
Laboratory
東京都世田谷区太子堂4-28-9
Mart
東京都世田谷区若林1-2-1
Home
東京都世田谷区三軒茶屋1-36-10
Front
東京都渋谷区道玄坂1-12-1 B1F 渋谷東急フードショー
【広島】
Fukuromachi
広島県広島市中区袋町3-28
Hondori
広島県広島市中区本通3-1
Park
広島県広島市中区基町15-1
Station
広島県広島市南区松原町2-37(ミナモア 2F)
取材・文/薮田朋子 写真/野口岳彦 編集/都恋堂(山口美智子)
●取材時期:2025年10月中旬 ※価格は消費税込
※価格など掲載内容は時期や施設、店舗の諸事情により変更となる場合があります。
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